ココがポイント
すこし歴史に詳しい人なら「近江泥棒、伊勢乞食」という言葉を聞いたことがあるだろう。しかしながら、伊勢の人の気性を表すのに伊勢っ子正直という言葉もあるのをご存知でしょうか?今回はこの2つの矛盾する言葉の謎に迫りたいと思う。







伊勢っ子正直とは?
神宮の門前町として発展したからか、気候温暖だからか古来伊勢の人たちはおっとりしており、人情あつかったようである。そのような性格を表して、伊勢っ子正直という。
ゆっくりしてってな、おおきんなー、などあたりが優しい伊勢弁を聞いてもなんとなくおっとりした感じがする。
古来より一生に一度は行きたいと言われた伊勢詣、苦しい生活の中で無理をして来る人も多く、そのような人たちをもてなすサービス業やおもてなしの精神が発達していったと考えられる。また、奉公先の主人に告げずに無一文で伊勢参りに来る抜け参り、もあったようで、伊勢でも施しを受けながらお参りをしたという事もあったようである。
また、伊勢神宮のおかげで毎年たくさんの観光客が来るため、商売環境にも非常に恵まれております、参拝客に正直に誠実に対応しているだけで、儲けることが出来たということもある。
伊勢っ子正直の気質はこのような環境の中で育まれて行ったと考えられる。
では、伊勢乞食とは?
この伊勢っ子正直の全く反対の意味に見える伊勢乞食という言葉があるのは何故なのか?
江戸時代に「江戸に多きもの伊勢屋 稲荷に犬の糞」と言われるくらい伊勢国出身、主に今の松阪の商人が大変隆盛を誇った。江戸の中期には伊勢屋という屋号の店が六百一軒もあったという。伊勢商人は、伊勢の本店に加えて、今で言う東京本社のような、江戸店というのをたくさん構えるのが特徴だったようである。
「近江泥棒、伊勢乞食」などと陰口を叩かれていたのであるが、これは伊勢商人が乞食のようにお金の管理に厳しかったからと言われている。
伊勢商人の代表といえば、三井であると言われたりするが、江戸時代に大名相手の掛売りをあまりせず、庶民向けに現金掛け値なしの商売をして発展したそうである。そこらへんのエピソードは三井のホームページに詳しいので、興味があれば読んで見ると良いだろう。
このようなエピソードを見ると、正直に商売に打ち込んでいた姿が想像できる。
まとめると伊勢乞食は伊勢っ子正直
こうやって見てくると、伊勢っ子正直はおっとりした性格を言うのに加えて、商売に正直な伊勢商人の性質を表してい言葉にも見えてくる。
そういう意味では、出納に厳しく、正直一徹に商売をしていた伊勢商人はやはり伊勢っ子正直なのかも知れない。
そもそも伊勢っ子正直という言葉を、伊勢生まれの私は最近まで知らなかったのであるが、気候良し、食べ物は魚介類も豊富で美味しい、生活環境良し、の伊勢では中々言い得て妙な言葉であると感じる。
伊勢の人は、伊勢っ子正直、この気質を守っていってほしいものである。

